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研究会の講義録
 

28 <側弯症に対する鍼灸治療----併・經脈整理の歴史>

古典鍼灸青鳳会 平成27年1月

 
■ 諸 言

肩こりの治療は鍼灸の定番だが、左右の肩のどちらかが一方より高い場合や、前方に出ている場合がある。また、はっきりと脊柱の側弯がみられたり、ひどい場合にはS字を描いて曲がっている場合もある。
また、背部の痛みを訴える患者でも、左右のどちらか一方だけが上から下まで凝っている場合 があるが、こういう場合には脊柱のねじれが疑われる。
あるいは、ぎっくり腰をおこした患者の場合、腰の筋肉の痛みは治まっていても、一時的におか しな姿勢が身についてしまっているため、いつまでも腰痛が去らない場合がある(やせ型の患者が多い)。
また、成長期に学校のクラブ活動ではげしい運動や筋肉トレーニングをしている児童などにも、 体幹が傾いたり、膝関節がまがったまま伸びなくなっているものがある。

こうした患者は、次に述べるように機能性の側弯症とよばれ、真性のものとは区別されるが、患 者の苦しみは大きい。だが、急性腰痛の過程で現れる側弯症などは、一、二度の鍼治療で治まるものであるから、われわれの面目を大きく施す場面である。ぜひ、この技術は身につけておかなけ ればならないものである。

 
 Ⅰ.西医的に見た側弯症
 

 側弯症とは脊柱が側方にまがり、ねじれも加わる病気である。一時的な曲がりもあるが、20度以上に曲がると危険とされる。
下の二種類に分類される。

A.機能性側弯・・・一時的なもの
脚長差、不良姿勢、坐骨神経痛などに原因があるもの。
心臓手術、結核手術などで肋骨を切除したあとにおこるもの。

B.構築性側弯症・・・真性の病気の側弯症
a.先天性・・・生まれつき脊柱の形に異常があるため、左右の成長差が出るためにおこる
b.神経性、筋性・・・脳性小児麻痺、筋ジストロフィーなどが原因になる
c.神経線維腫性
d.外傷性
e.特発性
・乳児期側弯症 0~3歳に発症
・学童期側弯症 4~10歳
・思春期側弯症 10歳以上

B.のうち80~90パーセントのものは、現在でも原因不明の特発性として分類される。
特発性側弯症のうちもっとも多いのが、思春期に発症するもので、小学校高学年から中学生に多発し、女子が男子に比べて5~7倍発症が多い。

≪予防法・予後など≫
予防法はないとされており、特発性のうち乳児期側弯症だけは自然治癒もあるとされている。
成長期が終れば、側弯症の進行も終了するが、b.神経性、筋性、c.神経線維腫性など、特殊な原因のあるものは進行する。
かばんの重量、持ち方、姿勢の不良、カルシウム不足が原因で構築性側弯症(真性の病気の側弯症)になることはないので、早期発見が重要となる。

 
 Ⅱ .東医的見地から
 
 

BC200年前後 馬王堆医書※(陰陽十一脈灸経・足臂十一脈灸経など)が書かれた。
BC215年 倉公淳干意生れる  史記の成立がBC92年なので、これから計算すると倉公淳干意の生年はBC215年となる。
馬王堆医経、史記・扁鵲倉公傳、素問の三つを比較してみると、素問の中には他の二つよりも古いような内容はない。素問の成立は  、前漢初期のこれらの時期よりも遅い。

  BC104年 太初暦の制定 漢の武帝 「太陽は寅なり」と規定。素問・脈解の冒頭「太陽寅、寅太陽也」。脈解篇は成立の上限  は、BC104年を遡らない。〔丸山昌朗「素問の栞」〕
※素問・脈解篇は脈經(王叔和の「脈經」以前の古脈經)の解説のために書かれた篇。荻生徂徠は『素問評』の中で、文体や使わ  れ た文字を考えると、脈解篇は大奇論とともに最も古い篇であろうとしている。

  AD79年 白虎観会議 五行説と陰陽論の整理が行われた 
87~88年 「白虎通義」 班固

  190年 難経  多紀元胤(医籍考)
李今傭 後漢の章帝の諱を難経は避けているから、それ以降の成立 →106年説
難經において、奇經八脈が整理される(二十七、八、九難)
BC104年~AD106年までの約200年間に素問の主要な部分が編纂されたであろう。

  ※1972年から73年にかけて、中国湖南省の長沙で発掘された馬王堆漢墓3基のうち、長沙国丞相犇(ダイ)候利蒼(だいこうりそう  )の男子を葬った3号墓から出土した14種類の医書類である。これらの医書のほとんどは絹に書かれた帛書で、一部が竹簡と木簡で  ある。この墓の主人が下葬されたのは、漢王朝の第5代目の文帝の初元12年(前168)であるから、これらの書の抄写年代はそれ   以前であり、戦国時代から秦末漢初のものとされる。

 
● 靈樞における經脈の整理

   經脈に関しては、素問・靈樞・難經の三成書のうち靈樞がもっとも詳しい。
   まず根結篇5で、經脈の大まかな流れが根(起点)と結(終点)という形で示されている。同時に、根から絡穴までの流注も記されているが、手足の三陽經について記されているだけで、陰經については記されていない。靈樞で十二經脈が整理される前段階での經脈観がまとめられた篇として位置づけられるのではないか。
   次に經別篇11で、起点から絡穴までの流れが十二經脈すべてについて述べられ、絡穴以降の流注、合する經脈名までが記される。位置づけとしては、根結篇5の補足ではあるまいか。
   さらに經脈篇13では、全經脈の流注、その是動病と所生病、病症の盛虚による補寫などの刺法、靈樞独自の脈診法である人迎 寸口診までが述べられるようになった。
   支脈についてもすべて記されている。ここで、經脈の整理は完成されたと言ってよいであろう。
   次いで本兪篇2では、十二經脈と藏府との関係、井栄兪経合の配当までが記されている。藏と府の陰陽関係、傳道之府(大腸)、受盛之府(小腸)などの名称についても述べられ、素問・陰陽應象大論との関連にも注目しなければならない。白虎観会議(AD79年)の成果をもとにした、これ以降の經脈観を提示した篇であり、重要と見え、靈樞の中でも、冒頭の九鍼十二原篇1の次に置かれている。
   經筋篇13に記されている經脈上の筋、また經水篇12にある地理上の河川と經脈の関係などは、前の4篇からすると、附篇という位置づけになるのではないか。
 
 
 
 
   Ⅲ.  治  療
 

患者自身に治療前後の体の感覚を知ってもらうために、以下の検査をしてもらうとよい。

 患者に右側臥位になってもらう。
右腕を背部へ、右下肢を前方へ伸ばすようにして体幹をねじってもらう。
つぎに、左側臥位になってもらい、上と同様の動作をしてもらう。 
脊柱に側弯があるばあいは、身体をねじった感覚が左右であきらかに違い、違和感のあるほうが患側である(右側臥位で違和感が強い 場合は、右側弯である)。
脊柱のS字側弯の場合、どちらを患側とすればいいか迷うが、この方法で患側を決定すると間違いがない。

   ≪取穴≫

両帯脈、患側中封と頬骨陵下縁